企画のなりたち
1988年、ニューヨーク市で行われた『最後の誘惑』特別試写会で、監督のマーティン・スコセッシは大司教のポール・ムーアと知り合った。そのイベントでムーアは、監督に遠藤周作の小説「沈黙」をプレゼントした。
初めて「沈黙」を読んだスコセッシは大きな衝撃を受け、まるで彼個人に話しかけられたような気がした。「遠藤が本で提示したテーマは、私がとても若い時からずっと考えていたものです。私はこの年になっても、信仰や人間のありようについて考え、疑問を感じていますが、これらは遠藤の本が直接的に触れているテーマなんです」
それ以来、スコセッシは映画化を固く決心していた。脚本家のジェイ・コックスと映画化に取り組み始めた彼は、自身の次回作として計画していた。しかしながら、運命は別のシナリオを用意していた。まず初めに、スコセッシは「二人で書いたドラフトが気に入らなかった」と言う。彼はまた別の問題にも直面した。とりわけ、出資者を見つけることが問題だったのだと言う。製作は中座するが、その後何年も、監督は本のテーマや登場人物について深く考え、コックスと共に、断続的に脚本のドラフトを何回も書き直した。二人が原作の奥深い意義を取り入れて息づかせた脚本に満足がいくまで、トータルで15年以上もかかった。
スコセッシは、2007年の小説の英語版の序文に次のように書いている。「キリスト教は信仰に基づいていますが、その歴史を研究していくと、信仰が栄えるためには、常に大きな困難を伴いながら、何度も繰り返し順応しなければならなかったことが分かります。これはパラドックスであり、信仰と懐疑は著しく対照なうえ、ひどく痛みを伴うものでもあります。それでも、この2つは関連して起こると思います。一方がもう一方を育てるからです。懐疑は大いなる孤独につながるかもしれないが、本物の信仰、永続的な信仰と共存した場合、最も喜ばしい意味の連帯で終わることが可能です。確信から懐疑へ、孤独へ、そして連帯へというこの困難で逆説的な推移こそ、遠藤がとても良く理解していることです」
実際、スコセッシがキリスト教最大の悪役と呼ぶユダは、監督がキリスト教神学の中で一番切迫したジレンマの一つとするものを具現化している。
「ユダの役割とは何か?」とスコセッシは言う。「キリストは彼に何を期待しているのか? 現在の我々は彼に何を期待するか――。遠藤は私が知っているどのアーティストよりも直接的に、ユダの問題に目を向けています」。この問題は「沈黙」に注ぎこまれ、ロドリゴ神父の運命を決定する。
スコセッシは書いている。「――ゆっくりと、巧みに、遠藤はロドリゴへの形勢を一変させます。『沈黙』は、次のことを大いなる苦しみと共に学ぶ男の話です。つまり、神の愛は彼が知っている以上に謎に包まれ、神は人が思う以上に多くの道を残し、たとえ沈黙をしている時でも常に存在するということです」
ロケハン
製作の前段階として、資金確保のためにさまざまな道が模索されていた2008年と09年に、マーティン・スコセッシと製作総指揮のエマ・ティリンジャー・コスコフら主なメンバーは、ロケハンを始めた。彼らは、経済的に可能な形で本作を撮影できる場所を探し、ニュージーランド、カナダなどさまざまな場所を見て回り、台湾でついに完璧なロケ地を見つけた。
台湾での撮影の可能性を探るうえで、スコセッシとコスコフは、台湾での撮影に幅広い経験を持つアン・リー監督(『ライフ・オブ・パイ』など)に連絡を取った。リー氏と彼の協力者たちは、台湾で映画を製作するうえで必要不可欠な助けとなった。
コスコフは、台湾を数回訪れ、撮影に向けて、国中を旅してまわった。「台湾には何度も行ったので、ロケハンをして都市や地方、国の隅から隅まで行ったと言っても嘘じゃないわ。それに大勢の人たちとも会いました」とコスコフが語る。「風景や地形が多様にわたり、人々の才能や台北にある映画製作の施設があったおかげで、『沈黙 ‒サイレンス‒』を撮影する場所をついに見つけられたと思っています。『沈黙 ‒サイレンス‒』は、17世紀の日本を再現できるぴったりの場所を見つけたと納得したの」
スコセッシも同意する。「台湾は、(舞台となる長崎に)地形的に似ていたし、天候も似ていました。山や海のそばの景色は我々が求めていたものでした」
キャスティング
製作の開始日が近づく中、役者を探していたマーティン・スコセッシは、数人の若手俳優をオーディションし、アンドリュー・ガーフィールドを見て衝撃を受けた。『アメイジング・スパイダーマン』を終えたばかりのガーフィールドは、スコセッシにとってロドリゴ神父の生まれ変わりのように見えた。
ガーフィールドはこの抜擢を喜びながらも、チャレンジの重みを理解した。「ロドリゴが格闘する大きくて一番重要な疑問は誰もが抱くものですよ。意義のある人生を、信仰を持った人生をどう生きるか、そうすることで疑いを持つことにもなるのか」
ロドリゴの同僚のガルペ神父に、スコセッシはもう一人のカリスマ性のある新進の若手俳優、アダム・ドライヴァーを起用した。「普通、聖職者というのは冷静で理性があると思いますよね。でも、当時の状態は過酷でした。彼らは荒っぽく、洗練されてはいませんでした。僕は彼らのことを探検家だと思っています」とドライヴァーは言う。
フェレイラ神父を演じるリーアム・ニーソンは、15年前のスコセッシの『ギャング・オブ・ニューヨーク』ではヴァロン神父を演じた。彼は監督と再び協力するチャンスを喜んだ。「(原作や映画で)描かれていることの中には、今の世界で実際に起こっていることでもあるんです。『沈黙 ‒サイレンス‒』はあらゆる人が見たい映画になったと思いますよ」
2007年にはすでに、スコセッシとキャスティング・ディレクターのエレン・ルイスは日本に行き、日本で有名な数人の役者に会っていた。彼らの多くが日本のスターだ。「私は日本には3回行ったわ」とルイスが語る。「とても刺激的でした。私たちはこれなら大丈夫だとすぐに分かったの。なぜなら、どの役者もとても優れた人たちばかりだったから。彼らの話す英語は完璧ではないにしても、彼らがシーンの意図を理解していることはよく分かりました。とても感動したし、興奮したわ」
重要な通辞役に、スコセッシは浅野忠信を起用した。監督は、浅野を、チンギスハーン役を演じた映画の『モンゴル』でよく知っていた。アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』で昭和天皇を演じた多才な俳優イッセー尾形は井上筑後守役を手にした。日本の優秀な若手俳優の一人、窪塚洋介は、キチジローの役を、また、フランス在住で、舞台演出家の笈田ヨシは、トモギ村の年長者イチゾウ役に起用された。モキチ役の塚本晋也は「スコセッシ監督のためだったらエキストラでもやります」と感激を口にした。
スコセッシは、日本人キャストについての褒め言葉が尽きることがない。「日本人の役者はすばらしい。彼らと会い、一緒に協力することは思いがけない発見の連続でした。彼らの才能の幅の広さや奥深さは驚異的ですよ」
父はよく言っていました。 「世の中に絶対的な悪や絶対的な善はほとんどない。 悪の中にも善はあるし、善き事の中にも悪しき事がたくさんある」と。
遠藤龍之介 / 遠藤周作 長男
スコセッシ監督と遠藤周作、二人の魂が通じ合うのを見た。 『沈黙』をめぐるすべての文芸批評を超えた作品。映画の力を思い知った。
加藤宗哉 / 作家・遠藤周作門下
スコセッシは、"信仰"と"迫害"を"人間"と"時代"を"神の沈黙"を、静かに静かに描きながらも、誰にも聴こえなかった"沈黙" を大胆に破ってくれる。
小島秀夫 / ゲームクリエイター
苦痛や苦悩の奥にある「苦しみ」が物質のように立ち上がるのは、スコセッシならでは。情感に流されない凝視に感嘆した。
芝山幹郎 / 評論家
弱い人、負けてしまった人、裏切ってしまった人、そんな僕らの肩を抱いて、一緒に泣いてくれる映画です。
町山智浩 / 映画評論家
映画という信仰が生み出した、恐るべき作品。こんなにも思考が揺さぶられる上映時間は、そう、ない。
松江哲明 / ドキュメンタリー監督
壮絶なまでのハイボルテージ。知性と情念の沸騰。『沈黙』がいかに多様な読みを呼び起こす現代的なテキストか、この映画は我々に教えてくれた!
森直人 / 映画評論家
日本人俳優が本当に軒並み素晴らしい仕事をしている。 どのキャラクターも決して単純化できない、非常に多面的、多層的な描き方、表情の見せ方をしていて、 特に重要なのはキチジローというキャラクターの描かれ方。窪塚くんが本当に素晴らしい。
(TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」1月28日放送分より)
宇多丸 / ラッパー・ラジオパーソナリティ
沈黙するのは、神か、隣人か、それとも己なのか。現代だからこそ悟らされる、信念を捨てないことの意味と意義。
松崎健夫 / 映画評論家
波のざわめきの音が、ざわめいている。俺はこの映画を見て、身体の底の底、もっと奥の底、つまりハートが、ざわめいている!
向井秀徳 / ミュージシャン
信念とは何か、人間とは何か、映画とは何か。巨匠マーティン・スコセッシのすべてがこの162分に。
門間雄介 / 編集者・ライター